以下、沖縄タイムス。
復帰40年:届かぬ思い 屈辱の記憶(2012年5月16日 09時28分 沖タイ)
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1972年5月15日、那覇市の与儀公園では1万人が参加して復帰抗議県民総決起大会が開かれた。40年後のこの日、当時の参加者の中には、同じ場所で節目の日を迎えた人、当時と異なり、復帰の節目を祝う県・国主催の記念式典で迎えた人がいた。迎えた場所は違ったが、米軍基地の変わらない現状に、抗議の声が同調した。
・屈辱の記憶 政府批判
元衆院議員 上原康助さん(79)
「
民主主義社会は世論を尊重することが基本です。なぜ、日米両政府とも沖縄県民の切実な声を尊重しないのですか」
戦後初の沖縄選出衆院議員として式典に招かれた上原康助さん(79)。「式典にふさわしくないものになるかもしれない」と一言添えて始まったあいさつは、持ち時間を超え、県民が望まない復帰の内実を指摘し、政府を批判した。
「捨て石」にされ、「塗炭の苦しみを味わいながら耐え忍んだ」と戦中戦後の沖縄を振り返り、県民の訴えをまとめた「建議書」を待たずに「沖縄返還協定」が強行採決されたことを、「絶対に忘れられない屈辱的」な思い出として挙げた。
40年前あいさつに立った与儀公園の復帰抗議大会にも触れ、「県民の不満と怒りを内外に強く訴えたが、(実際の復帰は)県民の思いと大きくかけ離れたものだった」と厳しく指摘。
普天間飛行場移設問題には「日米合意から16年余が経過した。10年余たっても実現できないことは、最初から合意に無理があったことを実証している」と切り込んだ。
復帰の節目を祝う中では異例の批判的内容。式典後「沖縄の現状、未来を考えると、これくらい言わないと」と毅然(きぜん)とした。
式典の後のレセプションでは上原さんに駆け寄り、「通り一辺倒のあいさつの中、あんなに堂々と、県民の気持ちを訴えてくれる人がいた」と興奮ぎみに握手を求める人もいた。
野田佳彦首相は祝賀の席で「上原さんから政府に耳の痛い話をうかがった。沖縄にはさまざまな意見があることを直視しなければいけない」と語った。
・地力はついたのか
大同火災会長 宮良直人さん(68)
「見た目は良くなったが、地力はついたかどうか」。復帰記念式典に招かれた大同火災海上保険会長の宮良直人さん(68)は、復帰した沖縄の40年の“決算”をこう評した。県経済は発展したが、力のある企業は少なく、企業の経営基盤はいまだもろいとみる。
1972年の5・15は、労働組合員として、那覇市の与儀公園であった復帰抗議大会に参加。米軍基地問題を含め「何も変わらない復帰」に怒った。加えて復帰前後の経済混乱、本土企業に市場を奪われるとの不安も広がっていた。
2年後に迫った沖縄の損保市場開放が社内外の不安をあおり、売り上げは急落。社員も辞め、求人を出しても風評に悩まされた。半減した役職員で必死に営業し、がむしゃらに動いて不安解消に努めた。
損保には復帰特別措置はなく、低い保険料や賃金でも、地元企業の意地で競争に挑んできた。県民に支えられたとの思いが強い。
40年後は公式式典に参加。発展しても変わらぬぜい弱さを思うと「複雑な気持ちだ」と話す。本土との一体化が進み、
社会の推進力となる郷土意識が薄れているとも感じる。「将来の目標を再度確認し、新たなスタートの日とするべきだ」
・基地 何も変わらない
仲里正弘さん(63) 中村英吉さん(69)
40年前と同じように、与儀公園に足を運んだ人も大勢いた。仲里正弘さん(63)=南風原町=は当時、琉球大学の学生として復帰抗議大会に参加した。
統治者が日本になると、何か変わるのか。学内で同級生や教授を巻き込んで議論を重ねた。「米国に押され、基地が固定化するのではないか」
仲里さんの心配は現実になり、この日も県民集会に参加せざるを得なかった。「豊かになったかもしれないが、基地は減らず、昔と変わらない」。40年前と同じ大雨の中、かっぱ姿で与儀公園を行進した。
中村英吉さん(69)=宜野湾市=は当時、与那城小学校の教諭。傘も雨具もなく雨に打たれたが、「平気だった。怒りの熱で体から湯気が立つようだった」という。
「県民の願いをかなえるように見せかけ、美辞麗句を並べたが、実態は米国追従そのものだった」。それは今も、変わっているとは思えない。
「またここに来なければならなかったのは残念。復帰50年、60年に抗議集会が必要ないようにしてほしい」と求めた。
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県内各地 変わらぬ基地に抗議集会(2012年5月16日 10時10分 沖タイ)
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復帰後40年たっても変わらない基地被害に抗議する集会が15日、県内各地で開かれた。40年前に約1万人の県民総決起大会が開かれた与儀公園では、沖縄平和運動センターが「5・15県民集会」を開いた。
参加者約250人(主催者発表)は、「沖縄の現実は何も変わらない」「県民は復帰式典に怒っている」と拳を突き上げた。「政府の軍事優先、植民地的施策に抗議し、目に見える基地撤去を要求する」との集会宣言を採択した。
米軍普天間飛行場ゲート前の広場では、普天間爆音訴訟団が「オスプレイ配備を断じて許さない怒りの県民集会」を開催。石垣市では、5・15八重山地区実行委員会が平和行進と集会を通じ、自衛隊配備などに反対の声を上げた。
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社説:
[新振計決定]自立への態勢は整った(2012年5月16日 09時40分 沖タイ)
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復帰40年を迎えた15日、県は沖縄振興の向こう10年間の道筋を描く「沖縄21世紀ビジョン基本計画」を決定した。初めて県が自前で策定した計画だ。仲井真弘多知事が、復帰記念式典出席のため来県した野田佳彦首相に手渡した。
同計画は、「自立」「交流」「貢献」を基本的な指針に掲げ、使い道の自由度の高い沖縄振興特別推進交付金(一括交付金)を活用した事業の推進や、アジアと日本をつなぐ国際物流拠点の形成などを盛り込んだ。
県は、同計画において、2021年度の県内総生産を10年度比約1・4倍の5兆1千億円とする目標を設定した。全国最低レベルの1人当たり県民所得も10年度の207万円から271万円(21年度)に増やすことを目指す。
本土復帰後4次にわたる10年ごとの沖縄振興(開発)計画は、いずれも国の主導で決定されたものだ。対して今回初めて県が策定し、国は支援する仕組みへと転換した。
本土復帰後、沖縄に投下された国の振興予算は約10兆円に上る。道路などの社会資本は一定整備されたものの、雇用を創出する有力な地域産業の育成は進んでいない。民間主導の自立型経済をどうつくるかは、最大の課題となっている。
仲井真知事が「従来の国計画に基づく手法では限界にきており、沖縄が自ら歩んでいく新たな段階に入った」とインタビューでその意義を語ったように、沖縄の真の自立に向けた第一歩としたい。
野田首相は、復帰記念式典の式辞で「アジア太平洋の玄関口として沖縄は新たな発展の可能性がある」と述べ、新振計の実現に尽力することを約束した。
那覇空港第2滑走路について「2013年度予算編成で財源を検討し、整備を推進する」と明言した。鉄道整備のあり方についても「必要な調査・検討を進める」と示した。
第2滑走路整備は、国際貨物ハブ事業を推進する上で、さらに離島住民の生活を支える拠点として、経済団体などが強く求めている。公共交通システムの整備も、主要幹線道の渋滞が激しく経済的損失も生じているため導入を求める声が高まっている。
駐留軍用地跡地利用特別措置法も成立し、返還軍用地の給付金の給付期限を拡充するなど、基地の跡利用を後押しする態勢が整った。
いずれも今後10年の沖縄にとって重大プロジェクトになることは間違いない。
過去の振計では金融特区や自由貿易地域、特別自由貿易地域などの制度が鳴り物入りで創設されたものの、さまざまな制約が付き、期待した効果は表れていない。
巨額の政府予算が投じられた北部振興策や再編交付金も沖縄の自立につながっているとはいえず、建設された箱物がかえって自治体の負担となっているケースもある。
これまでの課題も踏まえ、
県自らが策定した計画を真の自立にどうつなげ、県民の豊かな生活に結び付けるか。施策の具体化はこれからだ。「ポスト復帰40年」は、自ら切り開く気概にかかっている。
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以下、琉球新報。
首相「普天間固定せず」 復帰40年式典で負担軽減誓う(2012年5月16日 琉球新報)
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本土復帰40周年を迎えた15日、政府と県主催の沖縄復帰40周年記念式典が宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで開かれた。野田佳彦首相は「普天間(飛行場)の固定化は絶対にあってはならない。米軍基地負担の早期軽減を誓う」と表明した。仲井真弘多知事は「普天間飛行場の県外への移設、早期返還を県民は強く希望している」と訴えた。元沖縄開発庁長官の上原康助氏は、米軍が7月にも垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを県内に配備する計画を「沖縄蔑視」と厳しく批判し、40年たっても解消しない基地の過重負担に対する県民の強い不満が映し出された式典となった。
式典には衆参両院議長、最高裁長官ら三権の長と閣僚、ルース駐日米国大使や各界代表ら県内外から約1200人が出席した。会場周辺では政府の基地政策に抗議する市民団体のデモや集会があった。
式典で、野田首相は「日米安全保障体制の役割は重要だ。抑止力を維持しつつ、沖縄の基地負担の早期軽減を進める」と述べた。那覇空港第2滑走路の建設財源を2013年度予算で検討するほか、国営沖縄記念公園の首里城などを18年度をめどに県に移譲。鉄軌道整備を調査・検討することも示した。仲井真知事は「日米地位協定の抜本的な見直しや、普天間飛行場の県外への移設、早期返還を県民は強く希望している」と述べ、県外移設を県民の要望の形で求めた。
上原氏は戦後沖縄の苦難の歴史や復帰に懸けた思いを語った上で、国土の0・6%しかない沖縄に米軍専用施設が74%も集中する現状を「誰が考えても異常だ」と厳しく批判し、野田首相に「沖縄にこれ以上、新しい米軍基地を“陸にも海にも”造ることはおやめください。世界一危険と言われる普天間飛行場を一日も早く県外移設してほしい」と訴え、オスプレイ配備に「あまりの沖縄蔑視で、容認できない」と述べた。
<野田首相発言骨子>
晴れがましい歴史的な本土復帰の日から40年を迎えた。那覇空港の第2滑走路で2013年度予算で財源を検討し、早急に整備。鉄軌道も調査検討し、首里城は18年度をめどに県へ移譲する。米軍基地の集中が沖縄の負担になっていることは十分認識している。抑止力を維持しつつ、沖縄の負担の早期軽減を具体的に目に見える形で進めると誓う。普天間の固定化は絶対あってはならない。
<仲井真知事発言骨子>
沖縄県は40年前と比べ大いに発展し、県民は郷土に誇りと自信を持つまでになった。政府が沖縄の基地負担軽減に取り組んでいることに謝意を表す。
日米地位協定の抜本見直しや普天間飛行場の県外移設、早期返還を県民は強く希望している。
沖縄も東日本大震災と原発事故の解決に立ち向かうメンバーの一人と自覚している。同様に沖縄の米軍基地問題も受け止めて考えていただきたい。
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社説:
復帰記念式典/差別と犠牲断ち切るとき 沖縄に民主主義の適用を(2012年5月16日 琉球新報)
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民主主義社会は世論を尊重することが基本です。なぜ、(日米)両政府とも沖縄県民の切実な声をもっと尊重しないのですか。
復帰40周年記念式典で上原康助元沖縄開発庁長官はこう述べた。ほとんどの県民が共有する疑問だろう。なぜ政府は沖縄に民主主義を適用しないのだろうか。
県民の願いは、ほんのささやかなことでしかない。米軍基地の移設を、拒否すれば強要されることがない他県の国民と同様に、沖縄にも強要しないでほしいということだ。沖縄の民意も、他県と同じ重みでくみ取ってほしい。
繰り返す二重基準
差別の例証としてよく取り上げられるのが、国土の0・6%しかない沖縄に全国の74%の米軍専用基地が集中するという点だ。だが、より問題なのは政府の態度である。
2005年の在日米軍再編協議で米側は、沖縄の海兵隊の九州、北海道など本土への移転を打診した。だが日本側は検討しようとすらせず、打診自体をひた隠しにした。
防衛庁(当時)首脳はその理由を「本土はどこも反対決議の山」だからと説明した。実際には正式に可決した自治体議会はなかったにもかかわらず、だ。
政権交代後もそうだ。普天間飛行場の徳之島移転案は正式打診もしていないのに、反対の空気をくんで断念した。だが沖縄は知事も地元市長も反対で、県議会が全会一致で反対決議をしたにもかかわらず、押し付けようとしている。
同様の二重基準(ダブルスタンダード)は、米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備でも繰り返している。政府は当初、本土の米軍基地に一時駐機し先行運用することで安全性をアピールする予定だったが、地元の反発で断念した。
しかし沖縄では猛反発をよそに、今夏にも配備を強行しようとしている。よりにもよって世界一危険とされる普天間飛行場に、だ。しかも県都那覇で組み立て、市街地上空で試験飛行するという。政府は都心の新宿や銀座の上空で同じことを許すだろうか。
野田佳彦首相は復帰記念式典で「沖縄の基地負担の早期軽減を具体的に目に見える形で進める」と述べた。政府が今まさに進めようとしていることとの、あまりの乖離(かいり)に言葉を失う。
閣僚は来県するたび「沖縄の民意に耳を傾ける」と口にする。今回の首相もそうだ。だが耳を傾けた結果、実行したためしはない。
低姿勢の「演出」
沖縄の民意をくむ意思などないのに、低姿勢を演じる。そして「政府がこれほどお願いしているのに、受け入れない沖縄はわがままだ」という国民世論を喚起しようとしている。そう見るのはうがちすぎだろうか。
美辞麗句はもういい。沖縄の意思をくむなら、首相はまず真っ先にオスプレイ配備を撤回させてもらいたい。その上で普天間・海兵隊の県外・国外移設に本気で取り組んでほしい。
東日本大震災後、
福島と沖縄の近似性が指摘されるようになった。危険は周縁部に負わせ、利益は中央が享受する構図がうり二つだ。国策を進めるため補助金を投じた結果、地域経済が国依存型になってしまう点も似ている。
違うのは、沖縄では銃剣を突き付けられて土地を収奪された点だ。「誘致」などしていない。
もっと大きく異なる点もある。原発事故後の福島に、政府が新たな原発を造るだろうか。県議会も知事も反対しているのに、原発を強要することなどできるだろうか。今、政府がしようとしているのはそういうことだ。
差別を自覚した県民は、もはや分水嶺を越えている。もう犠牲を甘受するだけの存在には戻れない。政府はその重みを知るべきだ。次の世代に犠牲を強いることのないよう、今の世代で差別の連鎖を断ち切りたい。
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/*民主主義社会は世論を尊重することが基本です。なぜ、(日米)両政府とも沖縄県民の切実な声をもっと尊重しないのですか*/
これは、沖縄県民だけではなく、日本の99%の声だろう。
何だか、沖縄、アツイなあ〜。
ちなみに、俺的な妄想によれば、
/*もっと大きく異なる点もある。原発事故後の福島に、政府が新たな原発を造るだろうか。県議会も知事も反対しているのに、原発を強要することなどできるだろうか*/ のところだが、
彼ら(1%、「原子力むら」)は、(ホントにカルトっぽいので)やるかもしれない。と思う。
何かのキャンペーンを張って、首長を変えるとか、あるいは、ハトヤマのように「回れ右」させるとか、、、
似たような事が、過去無かったわけではない。
あるいは、なかば強制に近い形で「合法的」に土地を買い上げたりして「最終処分場」を作るとか、も考えられる。
また、/*違うのは、沖縄では銃剣を突き付けられて土地を収奪された点だ。「誘致」などしていない*/についても、
「銃剣」こそは使っていないが、原発を「誘致」させる前段階で、「過疎」という言葉もあるように、全国規模で地方経済を追い詰めたり、その地域に暴力的な脅しや、現ナマ(紙爆弾?)を使ったり、様々な分断政策を行ったのは多くの人が知っている。
さらに、老婆心ながら、
/*社会の推進力となる郷土意識が薄れているとも感じる*/ というけど、
俺的には、沖縄県民ほど県民意識の高い県民はいないと思う。
「いや、民族意識のことだ」というのかもしれないが。
俺的な者からすれば、いずれしろ、その意識を、米日政財界に利用されないように気をつけるべきだと思う。
歴史的に見て、支配の基本政策は「分断」だ。「差別」や「格差」はそのために支配者がワザと作り出すものだ。
逆に、これと戦う側は、圧倒的多数の一般人と、強く連帯することが重要だと思う。
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